“たとえば、あなたが何かの仕事をアラブ人に頼まれたとする。あなたはその仕事を引き受ける。

「これは、いつできますか?」と聞かれたとき、もし1週間後にできるものだったとしたら、あなたはどう答えるだろうか。もちろん、日本人は誰でも「1週間後にできます」と答える。

そう答えて、絶対に1週間後にできるように努力するだろう。それが日本人にとって常識だ。これ以外の常識などあり得ない。

ところが、アラブ人に「1週間後」にできると言うと、それはとてつもなく失礼なことに思われて、あなたは激怒される可能性がある。

日本人とはなんとぶしつけで、失礼で傲慢な民族なのかと思われる可能性がある。なぜなら、あなたが「1週間後にできる」と失礼なことを言ったからだ。

アラブでは「明日(ボクラ)できる」と言わなければならない。それが礼儀なのだ。

なぜなのか。

「明日できる」というのは、「あなたのことを後回ししないで大切に思っていますよ」というアラブ流の「配慮」だからである。明日できるという言い方で相手を立てているのである。

1週間後にできると言うのは、つまり相手を後回しし、ないがしろにしている表れであり、失礼なことなのだ。

だから、1週間後にできるものでも、「明日できる」と返事をするのがアラブ人にとって礼儀なのである。これが有名なアラブの「明日(ボクラ)」という習慣だ。

あまりに有名なアラブ・マナーだから、知っている人も多いと思うが、知っていても日本人は受け付けないし、理解できないはずだ。

なぜなら、これは日本の礼儀から非常にかけ離れたものだからだ。これに馴染むというのは、すなわち日本の礼儀を捨てなければならないからである。

翌日アラブ人がやってきて「できたか?」と言われたら、どうすればいいのか。

簡単だ。また「明日できる」と言えばいいのである。納期まで「明日」と言い続けるのが「礼儀正しい人」なのだ。”

Twitter見てると、日々のニュースに人々が食いついて、その排泄物として意見が出てくるように見える。

euo:

I’m in a world of shit… yes. But I am alive. And I am not afraid.”

Full Metal Jacket (1987) dir. Stanley Kubrick

ただ、ヘイトスピーチについて考えると、それは明らかに、その対象にタネを残すよ、毒を持った徒花を咲かすことになる種。

だからヘイトを受けて、朗らかに生き続けられる人間はそれだけで信頼に足る人であるとは思うな。

韓国系の民団という組織も、指紋押捺問題をクリアした後、戦う対象、人権として要求できるものとして構成員の共通認識だった的を失って、今では高齢者のコミュニティとしての外観を持ちつつも、すでにその機能さえ失いつつあり、

むしろ彼らがニューカマーと呼ぶ在日の嫁や日本人の嫁として来た人たちが辛うじてあつまる場所であったけれどそれさえなくなりつつあり、各支部がどんどん統合されて行っていき、近い将来にすごい速度で消えていく。ネトウヨが戦う相手はすでに、その生涯を終えようとしているんだよね。

ネトウヨが憎しみの対象にする在日なんて、一世二世はすでに高齢化を迎え、三世四世はほぼ日本に同化してるんだから、憎しみの対象たる資格、反日であること自体がそもそもなくなりつつあるんだよね。つまりマイノリティとして瓦解し、吸収されて行く運命にあるんだわ。

そんな状況なのに、彼らに向けたヘイトが収まらないというのはなんか、ヘイトそのものの是非は措くとしても、行為として狙ってること自体が的外れでしかない。誰に向かって憎しみを撒き散らしているのか、虚空に叫んでるような。

女とラブホはごくふつうな感じで面白味がないけど、妻とラブホはなんとなくこう退廃的というか禁忌にふれるような感じというか、不思議とエロティックというかでいいな。

虐げて来た人間も、虐げられて来た人間も、理想を語る人間も、卑しく地を這いつくばる人間も、皆欺瞞と真実との間で揺れ動いて生きてる。